水を汲み終わり、女たちに見送られて三人は井戸を後にしようとした。
「あら、あんたはいつの間に小屋を移動したの?そっちは逆方向じゃないの」
いつもと逆方向に歩き出したバキラに、ゲーネが怪訝な目をして尋ねた。
「そう、あたし、ソユガムのところへ行かなければならないの。悪いわね、ふたりとも。先に戻っていていいわ」
「ソユガム?バキラ、あなたも彼女に用があるの?奇遇だわ。わたしもいくところよ。一緒に行きましょう」
「まあ」
ゲーネがふざけて怒ったような顔をした。
「ふたりとも今朝は変わったことをする。朝からソユガムの顔なんて見たくないわ。あの人、わたしがいつか神殿の鏡を割ってから、何かにつけてわたしを陥れようとするの。わたしをマルバから排除して、神殿でドッドラに仕える女にさせようとしているんだわ。どうぞ行ってらっしゃい。わたしは先に帰るわよ」
アドモナーチは苦笑いした。
「ではドッドラの元で会いましょう」
「さようなら」
ゲーネは危なっかしい手取りで水瓶を持ち上げ、ふらふらと去っていった。
バキラは目を細めた。
「ゲーネは両親も祖父母も健在だし、兄弟が多かったわね。普段きっと重いものなんて持たないんだわ。こんなものであんなにふらふらして」
「そんなことないわよバキラ。家族が多い分、彼女は水汲みを二回するのよ。二回目にはふらふらにだってなるわ。わたしが今朝起きて外に出たとき、ゲーネが瓶を持って歩いているのを見たもの。これは二回目なのよ」
「ふうん、そうなの」
アドモナーチはバキラより三つほど年上で、彼女から見れば大人である。バキラにはその冷静な判断力が羨ましかった。
「ソユガムの元へは、どうして?」
「え?……」
バキラは口ごもった。兄の心配そうな顔が浮かんで、それがひどく煩わしかった。
「アドモナーチこそどうして」
「わたし?わたしはパチューシャのところへいくべきか、相談しに行くのよ」
「それなら、あたしも同じだわ」
バキラは驚いて言った。
「あなたは……悪夢を祓ってもらうの?」
「まさか。わたしは昨夜、恐れ多いことを――罪を犯してしまったから。」
バキラは唖然とした。
「このあなたがどんな罪を犯してしまったというの?」
注意深くまっすぐな彼女が罪を犯すなんて考えられなかった。
「わたしを見下さないで聞いてくれる?昨夜、卜者さまを鎮めてしまったのよ。恐ろしく興奮していらしたから、思わず、祈ってしまったわ。でも後で考えたらぞっとしたの……わたしは時の神の御意思を鎮めてしまったのではないかって。とても、とても恐れ多いことだわ、そうでしょう?」
「ああ、そうね……」
バキラは混乱していた。
昨夜バキラは卜者に会った。おそらく一番初めにバキラが彼に会った。
興奮気味だった卜者を鬱陶しく思い、鎮めてもらおうと何も考えずにバキラが寄こしたのは、ベズナの元だったはずだ。なぜアドモナーチが彼を鎮めたと言う?しかも興奮気味どころではなく、慎重なアドモナーチさえ思わず手を出してしまうほどいきりたって。
「アドモナーチ……あの……そう、ベズナがどうしているか知っている?」
不安に思ってそう聞いた。
答えは予想をはるかに上回るものだった。彼女は眉を顰めてこう言ったのだった。
「あら、バキラ、あなたも聞いたの?それが、昨夜倒れて以来、朦朧として意志の疎通もままならないそうよ。極秘事項なんて伝わったから、あんまり漏らしては駄目よ。何があったのかしらね。見舞いに行きたいけれど、それも禁止だと言っていたわ。まあ、ドッドラの次くらいに心が重いベズナが倒れるのは、これが初めてではないけれど……」
――倒れて?
バキラは心臓がどくどくいうのを感じた。
昨夜――昨夜は色々なことが昨夜いっぺんに起こりすぎた。卜者をベズナのところへ行かせたのは、バキラ自身である……そして昨夜から倒れたベズナは意識が戻らないという。
「どうしたのバキラ?」
バチーダは何と言っていたか?(予感がするのだ。気をつけて行動しなさい、バキラ。)確かにそう言っていた。(昨夜は大事な夜だったのに)そうも言っていた。
今更ながら、不吉の気配を感じて、バキラは震え上がった。そして逃げようとした。
「あたし――あたし、先にチャンのところへ行こうかな。鳥を分けてもらう約束をしたの――今朝のスープに肉を――」
ちらっとアドモナーチを見る。
だが彼女はこちらを見てはいなかった。全身を上へ引っ張りながら、立ち止まって、瞳を大きく開いて驚愕の表情を張り付かせていた。
「ドッドラが走ってくるわ」
そう言った。