高山には軽く風塵が舞う。
空から垂直な突風がやや規則的に吹き、この集落の正占に依れば、今日は非常に吉日だった。正占をする卜者はこの谷一番の益荒男だが、隣の集落の麻知を囲むひじりらは、彼を荒くれ男だと主張し軽侮の念を抱いている。彼はひじりを嫌って麻知へも赴かず、ただ只管彼の屋舎に閉じこもれば、やれ吉兆だ吉兆だと騒ぎ谷中を奔走する始末だった。そしてそれは悉くひじりらの占とずれている。
バキラは昨夜遅く、集落中が寝静まった頃、この卜者に叩き起こされて辟易した村人のうちのひとりだった。
「起き給えバキラよ」
彼女は完全に眠っていたのだが、朗々としたその声に薄目を開けた。
「夜明けを共に言祝ぐべきである。さあバキラよ、表へ出でよ」
バキラは起き出し、腕を伸ばすと卜者の首に掌を当てた。ひどく起伏している。
「日和も佳良なのだ」
「ベズナにそれを知らせてあげたの、卜者さま」
言うと、卜者は子供のような睛を三度、鋭く瞬かせた。
「此処を皮切りに始めるつもりでいる」
「では先にベズナの元へ行って下さい。その砌には、バキラが寄こしたのだとおっしゃって下さいね」
ベズナは、バキラ同様この村の娘で、バキラよりひとつ歳は下だが立派な鎮めの娘である。
バキラ自身は全く静めの血を受け継いでいないので、こんな人間を落ち着かせることさえもできない。だが父母共に鎮めの血濃いベズナは、幼いながら神でさえも鎮めてしまうほどだ。
「バキラ、吉兆なのだよ」
卜者は寂しげに言った。
「夜明けを待ち望んでいます。ベズナによろしく――そうだ、これを渡してください、印になりますから」
バキラは、様々なまじないのかかった腕輪や刺青が肘から手首までを覆う両腕を眺め、そのうち細く編んだひとつを外し、卜者に手渡した。べズナは以前、バキラのそれの模様をひどく羨んだので、覚えているに違いない。
「失くさないでくださいね」
卜者はベズナの小屋目指して出て行った。
バキラは完全に目が覚めてしまっていた。どうもすぐには寝付かれそうも無かったので、手探りで慎重に取っ手のついた黒石の薄皿に山羊の油を注ぎ、固結した油を浮かべ火をつけた。辺りがぼんやりと明るくなる。と同時に、隣の部屋の寝台から物音が響いた。
「バキラ、明かりをつけないで」
寝返りを打つ音がする。
「兄さん」
バキラの兄バチーダは、顔を背けながら、くぐもった声を出した。
「誰か来たのかい」
「占の変で、卜者さまが。でももう去りました」
「ベズナの元へやったのだね」
バキラはうなずいた。バチーダは、バキラの云為をいちいち知らせなくとも理解する。
「兄さん、卜者さま、一番に此処へいらしたわ。吉兆って、もしかしたら此処へ起こるのかしら」
「バキラ、寝なさい。夜と月の神に礼を怠ってはならないよ。――見なさいバキラ、光が美しいね。今夜は三日月だ。夜が明けたら、祭りが迫ったこの晩に闇を動かしたことを許してもらいにパチューシャのところへ行くべきか、ソユガムに相談しにいこう。それまで、静かにしているのだ」
やんわりと窘められ、バキラは少々眉をしかめたが、大人しく振り向いてバチーダの部屋から出て行った。そのままバキラ自身の部屋をぬける。外に出ると、卜者が日和は良好と言った通り、月と星が何の覆いもなく輝いていた。夜暗に乗じて何かがやってきたら、すぐにでもわかるだろう。
バキラは持っていた灯りを軽く吹いて消した。
001<< ◆ >>003