マルバが物心つく前からそこで暮らしていたのと違い、マルバの祖父は懸命な努力の末にその地へ辿り着いていた。
祖父は、集落が不作故にくちべらしに使われた少年だったのだと聞いた。歩いて歩いて、彼はどこまで行っただろう。飢えることのない大地へ。飢えの為に捨てられる子供のない集落を目指して。
途中差し掛かった、大きな発展したマチで、彼は一人の女を買った。奴隷として売られていた女だった。発展したマチで行われていたのは、冷酷なる奴隷売買だった。彼は頷いて金を払った。
彼はその女を妻にし、驢馬に乗せ旅を続けた。寂びれた集落はいくつも見かけた。くちべらしによって捨てられた子供も、幾度と無く見掛けた。助ける余裕など無かった。自分と女を生かすのに、毎日命を使っていた。
彼はわずかな罪悪感に悩まされる度、跪いて祈った。大地に寄せ、天に寄せて祈った。
我を助けたまえよ。我に豊饒の大地を開けよ。開く大地を見せよ。開く大地を、最後に我の前に出現させよ。
豊かに光る大地は開いて我を招く。
女は彼を見ていた。物を食べ、眠りながら、彼を見ていた。
旅の途中で女は死んだ。死体の腿には細い痣があった。彼は薪を集め、枯葉と共に女を焼いた。驢馬が悲しがって鳴いたので、松脂を融かしたものを驢馬に塗り、一緒に焼いた。
生き殺しにされて、驢馬は暴れ回って鳴いた。そしてそのまま谷へ落ちていった。彼は再び独りとなった。
そのまま幾年も過ぎた。やがて彼は飢えた。骨と皮ばかりになって、何月も歩いた。そしてある時、驢馬の落ちた谷へ戻ってきた。谷の裏には一枚岩があり、そこを抜けた山を登るとそこには豊かな集落が広がっていた。村人達は彼を受け入れて食物を与えた。
彼が驢馬の話をすると、ひとりの女がどこからかその驢馬の骨を拾ってきて彼に渡した。彼はそれを削って摩り下ろし、粉にして乳に溶かし飲み干した。そしてその女を二番目の妻にした。額に傷のある女だった。
女からは男児が生まれた。彼は息子に開く大地を託した。彼自身はこの山の上から、もう二度と離れようとはしなかった。家族を持ち、旅を諦め、山への定住を決めたのだ。
彼が死んだ後、彼の息子はよく働いて蓄えた。開く大地を探しに行くと決めていた。しかし彼もまた、山で妻を娶り、一段落着くと、それ以上のことはできないと悟った。彼は父からついだ大地の夢を、自らの子供に託すこと決め、それが恙無くできるよう、更に働いて蓄えを増やした。
やがて待った子が生まれた。男児だった。ダルゾと名付けられたその子供に、彼は開く大地を託した。
女児マルバが生まれたのは、その七年の後だった。
父はマルバを抱いて山を降り、一枚岩を抜け、谷へ足を踏み入れた。マルバは谷へ立って空を見た。
―――御覧、空を見上げてごらん。空があるだろう。マルバの空。
あの空の下に美しい国がある。開く大地。マルバの大地。
兄ダルゾは病弱だった。ダルゾに大地への旅は無理だと決断した父は、生まれて間もない女児マルバに夢を託したのだ。
丁度その折、崖から火達磨になった驢馬が落ちてきた。驢馬は暴れて嘶った。父はマルバを抱いたまま、成す術も無くそれを見つめていた。
やがて驢馬は静かになって息絶えた。父はそれを燃やし尽くし、骨になるまで薪をくべた。驢馬が骨になると、父はその灰をマルバの額に巻き火傷を負わせた。真っ赤に爛れたが、幼いマルバは泣かなかった。骨は父が持てるだけ持って帰って、屋根の一角にしまいこんだ。マルバのふたつの睛だけがそれを見ていた。
幾年も時は過ぎ、父は病気で死んだ。母とダルゾも死んだ。マルバは村人に支えられながら働き、ただひとりで家を守っていた。
更に幾年も過ぎたある日、山に死にそうな男が迷い込んできた。村人は男を介抱した。男は回復し、やがてのち、生きながら焼き殺しにした驢馬の話をした。マルバを思い出すものがあって、屋根の一角を探った。骨が出てきた。それを男に出しだすと、彼は驚き、それを削って摩り下ろした。彼はその粉をマルバの山羊の乳にいれて溶かすことにし、男はそれを飲み干した。マルバは男の妻となった。
開く大地は、マルバに対してだけ、一度大きく口を開いた。
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